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花をかむ
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    10年程前から違和感を感じていたのだが、

    テレビのバラエティ番組にて頻繁に笑いの偶発的な起爆剤として、

    「かむ」という現象がある。

    これはもう視聴者の市民権を得たといっても過言ではないほど浸透しているのだが、

    つまりは出演者がなにかしらを話そうとして、

    口が回らなくなったり、

    言葉として聞き取り辛い状況を自分の意図と反して作りだしてしまった出演者を、

    周りが「冷やかす」ことによって笑いを起こすというものである。

    この「かむ」という現象は、

    日本の精神分析学では、

    「失錯」或は「錯誤行為」と呼ばれているものであり、

    大量の言葉や行為の混淆する深い無意識化から生じて、

    意識を貫きその欠片が肉体に現れる現象なのだ。

    これは万人に起こる事象である。


    しかしながら、

    10年以上前にはこのような状況から笑いを作り出すという現象は、

    ほとんどなかった。

    では何故このような笑いの新しい作為形態が設立されたのか。

    私の推測では、テレビ画面の下に出るテロップの嵐が諸悪の権化ではなかろうか。

    テロップを制作する上で、

    出演者にゴチャゴチャとした聴き取り辛い言葉を発せられてはテロップにならない。

    それを出演者が察知し「冷やかし」を笑いにしてしまうという寸法であろう。

    もしこれが舞台やドラマや映画などであれば即NGである。

    私は台本にないフリートークなどであれば、

    別段笑いを構築する上でのこの作為は必要であったのだろうかと

    合点のいかないところがある。

    本来目指すべき笑いへの行動が終着地に着く事が芸であり、

    これら「かむ」ことは笑いに執拗に転化するべきことではないように思う。


    私はこの作為も、もうそろそろ終末を迎える頃だと思っている(現在2012年3月1日)。

    ドラマのNGシーンなどを集めた番組なども昔はあったが、

    今は見る事も無くなった。

    人の失敗を笑うのもいかがなものかというところであろうか。

    この作為の花もいずれは萎み、

    散っていくものであろうと思う。

    「時花」と書いて「はやり」と読むことはよく現実を捉えた言葉であり、

    この作為の花も時に流されることには

    やはり敵わないであろう。

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